日々のあれこれ2017年05月03日
#19) 「八十八夜」ってなぜ「夜」?

きのう5月2日は八十八夜でしたね。立春を初日として88日目をそう呼びますが、「八十八夜」は古代中国から輸入された暦には無く、日本の農事に必要なことから独自に制定されたのだとか。

 

 純粋に陰暦(月齢に基づく)だけで生活すると太陽暦から大きくズレていきますから、日照・気温・降水などの気象変化を重視する農業には支障が出ます。陰暦と陽暦のズレをなるべく少なくするために考案されたのが太陰太陽暦(輸入もの)ですが、その暦法をわが国の気象に合わせて更に改良する過程で、陽暦に基づいて定められた「二十四節気」や「七十二候」とは別に八十八夜などの「雑節」を設けたというわけです。

 

 それにしてもなぜ「」と呼ぶのでしょうね? 同じ疑問を抱く人は居るらしく、ネット検索すれば幾つかの説があるようです。しかし、私は4月末から5月初めに至る期間の夜空を観ていて気づくことがありました。

 

 そもそも八十八夜とは、「霜が降りなくなる頃」とか、逆に「遅霜の恐れがある頃」という、農作物の新芽が「しもやけ」にならないように注意すべき季節として意識されていたようです。とくに、今年はいつまでも寒い朝が続きますが、私は4月末頃から毎晩、【月の満ち欠け】とともに【星空の澄み具合】も【風の有る無し】も観てきました。

 

 すると、清らかに澄み切って無風の夜は放射冷却がすごくて、翌朝の日の出前ころには厳しい冷え込みがやってくることを繰り返し体感しました。実際、信楽(三雲から山を上がったところ)のアメダス(標高265 m)観測記録によると、4/28の最低気温が 0.4℃(午前05:20)だったのを初めとして毎日、日の出前の気温は2~3℃代が続いていました。おそらく霜が降りた朝があったのではないでしょうか。朝宮の茶畑では霜よけ用の扇風機が回っていたのではないかと思います。

 

 つまり、八十八夜ころの夜空を毎晩観測し、翌日未明の降霜の有る無しを正確に予想することが農業には一大事であったと思われます。だからこその八十八「」ではないかと…。