日々のあれこれ2018年11月08日
#97) 母逝って30年 立冬の候

 昭和63年(1988)11月8日 夕刻、母が急死した。65歳。あれから丁度30年。

 昭和64年は8日間しか無かったので、昭和63年は実質的には昭和最後の年だった。あれから30年、いままた元号が変わろうとしている。めぐり合わせというべきか…

 

 その日の夕方、母が救急病院で危篤という電話を受けた私は、滋賀医大を車で出て、数か月前に開通したばかりの京滋バイパスをぶっ飛ばし大阪府枚方市津田の病院へ急行した。病院に到着したとき母の顔は既に土色になっており、触れると ぬくもりのかけらも無かった。

 

 あとから聞いた話だが、その日は朝から畑仕事に出かけたらしい。クワで畑を耕しているうち強い腹痛を覚え、近医に診てもらった。おそらく胃腸薬が処方されたようだが、まったく効かなかったようだ。午後になって益々痛みは強まり、海老のように前屈して臥していたという。夕方、とても我慢できなくなり最寄りの病院へ搬送されたが、診断もつかぬまま亡くなった。私が電話を受けたのは、病院へ運び込まれたあとのことだった。死因は診断されていなかったが、私はピンときた。腹部大動脈瘤の解離または破裂だろう、と。

 

 実は、急死の約1年前に母の腹を触診する機会があった。永年、慢性糸球体腎炎を患っていて痩せ細っていた母の腹は薄かったが、みぞおちから臍にかけて、体表から直ぐ浅いところにドキドキと脈打つ固まりを触れたのだ。腹部大動脈が膨れ上がって瘤を形成しているのではないか?と考えた。永年の腎臓病のため高度の高血圧と貧血を合併しており、タンパク質/塩分の摂取制限により身体の痩せはもちろん、大動脈の壁も硬く脆くなっていたことは想像に難くない。

 腹痛があるのに消化器の病気ではない場合として腹部大動脈瘤解離のほかに上腸間膜動脈解離(じょうちょうかんまくどうみゃく かいり)という病気もある。腹痛患者を診たら念頭に置いておくべき病気たちである。

 

 亡くなる2年くらい前、近医にお願いしてACE阻害薬を処方してもらったことがある。当時、トランドラプリルは未だ無く、確かレニベース®(エナラプリル)を処方してもらったように思う。私は昭和54年(1979)からACE阻害剤の基礎研究を始め、その薬剤の臨床上の評価も熟知していた。だから、近医さんに頼み込んで処方をしてもらったのだ。

 ところが、飲み始めた当日から咳で咳で夜も眠れないというので、中止せざるを得なかった。今ならARB(アンジオテンシン受容体遮断薬)を利用できるのだが、当時は未だ影も形も無かった。ACE阻害薬を使えなかったことは今でも残念でならない。

 

 腹が痛くて胃腸薬をもらったが全く効かない、という時点で電話をもらっていたら、国立循環器病センターなどへ早めに行けたのに…と返す返すも悔やまれる。

 

 通夜の日も葬式の日も凍えるような寒さだった。あの頃は考えが及ばなかったけれど、11月8日ってまさしく立冬の候だったのだ。母を若くして亡くした昭和63年末は、昭和天皇が吐血・下血を繰り返す重体であられたときであり、世の中全体が自粛ムードに沈んでいた。喪に服する私たち家族には暗い暗い寒い寒いときであった。

 

 母の死から私が学んだこと、それは「腹痛があるといっても消化器の病気とは限らない」という事実である。医者を生業とするものにとって忘れてはならない警句である。開業4年目に入っている私は母の命日を機会に思いを新たにする。