ブログ#94)の最後に「ぞっとした」と書いたが、もう少し詳しく説明が要ると思う。 私は平成元年2月に滋賀医大から大阪医大に移った。そのとき仕事場の在ったのがヴォーリズ設計の大阪医大・本館(元は大阪高等医専・本館、通称「時計台」)の2階だった。昭和5年建立なので築60年だったことになる。
時計台は学生時代に講義や実習を受けた場所でもあり、そのサラセン様式のデザインが気に入っていたので、そこを職場とすることは嬉しくもあった。ただ、手狭で老朽化した本館を廃して高層ビルへ移転する計画が進行中で、時計台のすぐ北側に建設工事が始まっていた。
そんなある日の夕方、2階のデスクで仕事をしていると、どこかからゴオオーッという地鳴りが聞こえて直ぐに大きな地震がやってきた。地鳴りで充分にビビっていたので、とっさにデスク下に潜り込んでしばらく震えながら過ぎ去るのを待った。幸い、被害は無かったが、なにせ老朽建築だからホントに「ぞっとした」のだった。
新築の12階建て総合研究棟への移転も大仕事だったが、まあ快適な研究室に入居することができた。そのベランダから時計台の解体されゆく過程をつぶさに観察することができた。あのヴォーリズ建築が巨大なカニの爪みたいな重機によっていとも簡単に崩されていく。
白黒写真の原版(縦型)は当時のわが同僚(女性)によって撮影された(それを私が横型に複写した)。平成2年築の高層ビルと昭和5年築のヴォーリズ建築という対比をテーマにし、何とも寂しい旧ビルの消滅してゆく姿を絵画的なアングルで撮った名作だと思う。焼け枯れたような立木のシルエットが効果的な点景となってもいる。手前に重機が駐まっているが、よく見るとその真後ろにも重機が見える。向こう側に腕を伸ばして今まさにカニの爪で時計台の床をもぎり潰している。その重機は瓦礫の山によじ登って高い所にまで腕を伸ばしている。
私が注目するのは、瓦礫に大きなコンクリート破片が含まれていないことだ。瓦礫のほとんどは、ほぼ砂を固めただけの脆いモルタルといった感じだ。つまり、この建物に耐震性を期待するのは無理だ。 学外の市民からはヴォーリズ建築を保存せよとの声も上がった。しかし、耐震性が乏しいとの理由で解体された。旧本館の雄姿は総合研究棟1階ロビーに陶板画として残されている。
三雲クリニック
11/1 今日は新旧暦とも ついたち。お朔日詣り。コロナなんか怖くないが、ワクは怖い。打ったらあかん❕ コロ・ワクは毒チン❕❕