日々のあれこれ2018年09月30日
#93) 猛烈台風の記憶

9月もあと4時間足らずで終わり。今日は9月で唯一度のブログ更新になってしまった。

 台風24号が近畿に近付き、ここ三雲でも雨風ともに荒れている。昨日の午後から窓ガラスのテーピングを始め、今日の午後2時までかかった。スコッチの315番という、厚手の梱包テープを約130 m使った。なんでそこまで?と思われるだろうが、私には台風の怖い記憶があるのだ。

 それは昭和36年9月16日の第2室戸台風の怖い体験記憶。当時の私は12歳、大阪・交野の実家に居た。強烈な台風という予報を聴いて、ガラス戸にゴザやムシロと板を打ち付けて備えを固めた。実家には雨戸というものが無かったからだ。 武装したあとも、ガラス戸を内側から押したり、風向きが変わってガラス戸が吸い出されそうになったら内側に引き留めたり、という体を張った防護をせねばならなかった。そのとき、無防備だった天窓から屋根瓦がヒラヒラと舞い上がるのが見えた。と思う間もなく瓦が天窓を突き破った。破片は我が身の左側に落ちた。もう少しで大怪我をするところだった。第2室戸台風の上陸時の中心気圧は なんと 925 hPaだったという(ウィキペディア)。

 

 去る9月4日の台風21号(上陸時 945 hPa)のとき、昔の恐怖記憶がよみがえった。午後3時ごろの烈風の吹き荒れる間は、身を縮めてうずくまるしか無かった。あのとき、現住居のガラス窓は無防備のままだったから、強烈な南風に、南面する大型ガラス窓の破損を心配するばかりだった。少年時代の怖い記憶が頭の中を吹きまくった。当診療所の建物被害は殆ど無かったが、庭のナンキンハゼの大枝が折れてしまった(写真参照)。

 

 台風21号では、関空(KIX)が浸水して全面閉鎖になったり、吹き流された貨物船の衝突によって連絡橋が変形・破損し道路も鉄道も使えなくなったり、ということばかりが報道された。関空が部分的に再開したあとも空港以外の災害については殆ど報道されなかった。

 台風から3週間以上が経って、ようやく各地の被害がポツリポツリ報じられるようになった。とくに大阪泉州の被害は凄く、数千軒の屋根瓦が吹っ飛んだ。南風が猛烈だったので、京都市内の最高峰、愛宕山では無数の倒木で登山道が塞がれたままらしい。鞍馬山でも倒木がすさまじく、今年は鞍馬の火祭が中止になった。

 滋賀県でも倒壊家屋の下敷きになって1人が亡くなった。近江源氏・佐々木氏の氏神たる沙沙貴神社では、本殿の屋根が大破したり、参道の倒木が凄かったり、という状況らしい。因みに、同神社の昔の住所は蒲生郡安土町だったが、合併により近江八幡市安土になっている。長浜では市立図書館の窓ガラスが破損し、破片が図書にも降りかかったので図書が使えない状態なんだとか。

 今日の24号は進路も大きく異なる。災禍の少ないことを祈るばかりだ。