5/3-5 の連休中、安曇野を拠点に信州を旅した。20年以上前、大阪医大に在職中、安曇野にあるキッセイ薬品中央研究所へ足繁く通った。トラニラスト(リザベン®)の新規応用に関する共同研究のためだったが、仕事のあとは温泉に浸かり快適な思いをさせて頂いた。以来、常念岳を見上げる安曇野の風景に魅せられている。
#83)で、江州安曇川を訪ねた印象を書いた。この度、信州安曇野を再訪して、安曇川地域との類似性を知ることができた。(1)両地方とも文字通り安曇族が切り開いて住み着いた土地であり、(2)どちらも西側に山々を背負い日暮れは早いが、東側は広々と開けており旭日をしっかり拝める、(3)清涼な湧き水が豊富で生活しやすく、かつ農耕適地と思われる、(4)かつて信州盆地は湖だったらしく、琵琶湖と同様に水運で外界と繋がる土地でもあった、などの共通点があるように思った。
そう、安曇野も安曇川も、海人族たる安曇族の雰囲気が多分に詰まった土地なのだ。しかし、大きな相違点もある。安曇野には安曇氏の祖神たる穂高見神(ホタカミノカミ)を祀る穂高神社があって、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)では「名神大社」に列せられている。一方、近江國高島郡の名神大社は水尾神社だけで、先に訪れた三重生神社は同郡内に32座ある「名神小社」の一つに過ぎない。
穂高見神は海神・綿津見神の子である。綿津見神は、イザナギ神が黄泉の国から生還してミソギをしたときにアマテラス、ツキヨミ、スサノヲ、ツツノヲらと伴に生まれた兄弟神である。綿津見神の子には豊玉姫、玉依(タマヨリ)姫、穂高見神が居て、豊玉姫はヒコホホデミ(ニニギノミコトの子)の子・ウガヤフキアエズノミコトを産み、玉依姫はウガヤフキアエズの子・神武天皇を産んだ。
つまり、安曇氏は天皇家の草創の頃に母系として重要な役割を果たしたのだ。にも拘わらず、安曇氏の記述が日本書紀には殆ど無い。安曇氏がヤマト建国に必須の役割を果たしたことの証拠は幾らでもあるのだが、日本書紀はそれを抹消したらしい。ヤマト建国にまつわる真相は関 裕二さんの最近著『神武天皇vs.卑弥呼―ヤマト建国を推理する』(新潮新書 2018.4.20)で明解に示されている。
安曇族の本貫地は北部九州・志賀島の金印「漢委奴國王」で有名な奴國(なこく)である。安曇族は綿津見を祖神とする海人族として日本列島の各地に展開し、アヅミやアツミなどの地名を残している。もちろん近江の安曇もその一つだが、ひょっとすると「滋賀」の名も志賀島の「志賀」に由来するのではなかろうか?
関 裕二さんの前掲書は「二十数年間の執筆生活の総仕上げと自負して」おられる、まさにマスターピースと呼べる著作だと思う。クリニックの待合室にも備えているが、是非とも購入して再三再四くりかえし熟読していただくことをお奨めする。
三雲クリニック
12/7(土) 大雪(黄経255°)次は冬至です。日本人の免疫力落ちてます。打ったらあかん‼ コロ・ワクは毒チンやでぇ❕