4/29 昭和の日。「マキノのメタセコイア並木が見たい」と嫁サンが言うので行ってきた。新緑の頃がベストと聞いていた。実に清々しい。多くの人出があった。
せっかく高島方面に行くのだから土地の由緒ある神社に参拝もしたいと思って、高島市の観光情報を検索した。その結果、三重生(みおう)神社、水尾(みを)神社、安閑神社を選んだ。
選んだ理由は継体帝つながり。高島と言えば、継体帝が生まれた土地。父は応神帝の第11皇子の4世の孫、彦主人(ひこうし)王。母は垂仁帝の第10皇子の5世の孫、振姫(ふるひめ)。父王が早世したので、振姫は継体帝を越前三国に連れて帰り養育した。
高島は広々とした平野。西山はだいぶ西方に後退しているので、琵琶湖と西山の間には穏やかな平野が広がっている。いまちょうど田植えの時季で、山々の新緑、水を張った田んぼ、里の家並み、翻る鯉のぼり、どれもみな懐かしい、懐かしすぎる光景だ。薫風も実に心地よい。こんな豊かな土地でオオド王(継体)は生まれたのだ。
しかし、三重生神社は寂れた感じで悲しかった。高島に多くはないであろう式内社だから、昔はすごい社格を誇ったはず。事実、表参道は遙かに北に伸びている。本殿には社号額も無く、建物も質素きわまりない。奇妙なのは、社殿が北面していること。察するに、社殿は本来は無く、元々のご祭神は現社殿のだいぶ南方にある彦主人王御陵ではなかろうか。
水尾神社の祭神は、振姫とその5世の祖たる磐衝別命(イワツクワケノミコト)。こちらは地元・拝戸(はいど)地区で大切にされているらしく、綺麗に庭園も整備されている。5月3日には豊年太鼓奉納があるという。
安閑神社は継体帝が尾張のメノコ姫との間に設けた安閑・宣化両帝の名前に因むのか?と思ったのだが、真相は不明。神社よりも有名なのは、社前に展示してある「神代文字」の刻まれた石。 有名な鴨稲荷山古墳の近くには「継体天皇の胞衣(えな)塚」なるものも在って、地元での振姫人気(継体人気というよりは)が窺える。
高島訪問で総じて感じたこと: 地元には振姫の伝承を受け継いでいこうとする熱意を感じるものの、国(宮内庁?)は継体天皇の父王・母王をあまり重視していないな、ということ。なぜか大和の時代から、そして今もなお継体帝は疎まれている、あるいは、軽んじられている。
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12/7(土) 大雪(黄経255°)次は冬至です。日本人の免疫力落ちてます。打ったらあかん‼ コロ・ワクは毒チンやでぇ❕