趣味2018年04月27日
#82) 山の辺の道

 4/22(日)嫁サンの高校の考古研OB・OG会の行事に参加させてもらい山の辺の道を天理・石上神宮から檜原神社、箸墓、巻向駅まで歩いた。総距離25km弱はあったと思う。足はくたくた。日頃の運動不足を痛感した。

 

 近鉄天理駅に降り立ったのは初。天理本通を歩いて、どの商店にも活気を感じた。全国の同規模の都市で普通の光景と化しているシャッター通りとは正反対。昭和30~40年代の、レトロで、かつ、清潔な感じの店々が印象的。宗教都市という背景がそうさせているのだろうか?

 

 石上(いそのかみ)神宮は物部氏の総氏神。私は肩野物部氏の末裔と信じる者ゆえ、初参拝は大いに気分が高まった。七支刀(しちしとう)のお守り札は娘が少し前に買ってくれた。

 

 山々は交野と同様の なだらかな連山だが、山裾の道は結構昇りが多い。喘息のケアが行き届かず、文字通り息を喘ぎながらの苦行。皆さんに置いていかれることがしばしば。当日は25℃以上あったと思う。汗もまた苦行。

 

 夜都伎神社、樹陰の涼風にしばし和む。 竹之内環濠集落、ウシガエルがゴウゴウと吠える。

 

 衾田(ふすまだ)陵は手白香皇女(たしらかひめみこ)の御陵。知らなんだ、継体天皇の皇后は大和に葬られているんだ! 一方、継体帝の陵墓は北摂・高槻にある。武烈帝で途絶えた大和朝廷へ越前三国から婿入りしたとされる継体帝だが、直ぐに大和入りはせず乙訓、綴喜、樟葉などを転々とした。皇后との間に欽明天皇を設け、その後の天皇系譜の再興・発祥とした。しかし、互いの陵墓は遠く離れている。やはり、仮面夫婦だったのだろうか?

 

 昼食前に黒塚古墳を見学。33面の銅鏡をつぶさに見る。鋳造過程の展示が興味深い。 長岳寺前で昼食。その後、寺の名物、背丈より高いツツジの開花トンネルを散策。

 

 崇神陵の南側から西方に二上山(ふたかみやま)が明瞭に望めることに気付く。いかにも大和らしい景色。しばし見とれる。

 檜原(ひばら)神社から鳥居越しに真西に二上山が見える、有名な光景に感動。箸墓(はしはか)を見て、JR桜井線の巻向(まきむく)駅から帰宅の途に。よう歩いた! 脚は三重に折れた。ヤマトタケルじゃあないが…