趣味2018年03月29日
#78) 桜花と月夜

 平成30年3月28日(水)午後10時  きょうの昼間は暑いくらいで、湖南市あたりでも桜花がほぼ満開になった。夜空もよく晴れて澄んだ藍色。春宵といってよいのだろうか、この季節ならではの心地よさを感じる。十二夜月がほぼ南中しており、まぶしいほどに輝き花影を落としている。

 

 そんな花影を見て、ふと思い出したのは原 石鼎(はら せきてい;#62, #63話 参照)の句。

 

      花影婆娑と 踏むべくありぬ 岨の月

 

読みは 「かえいばさと ふむべくありぬ そばのつき」。たしか深吉野時代に詠んだ句だったと思う。今夜の月明かりが明瞭で影がくっきりと地上に落ちるのをみて思い出した。

 

 

 また、月影で思い起こすのは會津八一の傑作

 

   おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ

 

この歌は春のおぼろ月を歌ったものではなく、花冷えのする頃の、ちょうど今夜のような冴え渡った月光を歌ったものらしい。唐招提寺の、エンタシスのある太い列柱の月影を詠んだものだと記憶する。金堂脇に歌碑がある。

 

 歌人・河野裕子さん(#14話 参照)の『桜花の記憶』に、九州うまれで滋賀県で亡くなったお祖母さんの言葉が載っている。まるで自由律短歌のような…

 

  「婆ちゃんが死んだら、裏の畑に埋めて桜の木ば一本植えて欲しかね」

 

そして、河野さん自身が、墓に入るのを嫌って、次のように詠んでいたという。

 

  喪の家に もしもなつたら 山桜 庭の斜(なだ)りの 日向に植ゑて

 

ブログ「やさしい鮫日記:松村正直の短歌と生活:2013年08月12日」より