日々のあれこれ2018年03月25日
#77) ひこにゃんよ、井伊大老の顕彰を

 今日 2018.03.24 は、彦根藩主・井伊大老が桜田門外で暗殺された1860.03.24(安政七年三月三日)から丁度158年目だ。当日は節句の日で、江戸城へ参上すべき朝だった。しかし、ときならぬ降雪・積雪(おそらく南岸低気圧のせい)ゆえに護衛藩士たちは刀に柄袋を被せていたため、水戸浪士らの襲撃に咄嗟の応戦ができなかった、というのは有名な話。

 

 勅許を得ずに修好通商条約を締結したことが、攘夷派たる浪士たちにテロを実行させた理由とも言われるが、それはあと付けの理屈だろう。前年の「安政の大獄」で水戸藩が厳しい処罰を受けたことに対する復讐の意味合いが最も強いのでは…と推察する。

 

 明治以降の日本人は「封建的な江戸時代、開明的な明治時代」(森田健司『明治維新という幻想』、羊泉社2016)という虚像を初等教育から高等教育に至るまで徹底的に刷り込まれてきた。井伊大老が列強の威力に狼狽して条約を締結してしまった、しかも孝明天皇の勅許を得ぬままに締結したとか、安政の大獄で攘夷派の「義士」を強権的に粛正したとか、の理由があり暗殺されて当然のように教え込まれていて、それを疑うことさえしない。

 

 しかし、明治維新から150周年を迎えるいま(実際は明治元年九月八日、1868.10.23)、その虚像を剥ぐ著作が少ないながら刊行されている。史実を知れば、明治以来の教育が如何に巧妙に刷り込みを行ってきたかが判る。いま「西郷どん」とかいうTVドラマをやっているが、私は視ない。フィクションだからだ。あれを史実と勘違いしている人が多いのではなかろうか。南洲さんを敬愛する気持ちは強く持っているけれど…

 

 原田伊織(彦根東高 出身)× 森田健司の対談録『明治維新 司馬史観という過ち』(悟空出版2017)を読むと維新の虚像が次々に暴かれ、目から鱗がポロポロと落ちる。固定観念を刷り込む明治政府以来の教育政策に加えて、戦後、司馬遼太郎の著作が「麗しい明治維新」という虚像を作り上げるのに貢献してしまった、と指摘する。

 

 現代日本人(少なくとも滋賀県民)は井伊大老に関する真実を学び大老を再評価・顕彰すべきだろう。毎年3/24の大老忌には、ひこにゃんにも頑張ってもらいたいものだ。せっかく井伊の赤備え兜をかぶり、豪徳寺の招き猫をモチーフにしているのだから。

 

 彦根城・金亀公園の大老像に捧げられた井伊文子さん(1917.05.20 - 2004.11.22)の歌を噛み締めたい。歌人は元彦根市長・井伊直愛氏夫人で、琉球王・尚家のお生まれ。14歳のときから佐佐木信綱に師事したという。

   一身に 責負ひまして 立ちましゝ 大老ありてこそ 開港はなりぬ