2018/03/21 春分の日(太陽黄経 0°) 古代、北欧などでは冬至(太陽黄経270°)が新年の始まりとされたことを書きましたね(#61話)。冬至から90°公転して360°、つまり公転軌道を一周して0°に戻ったわけです。
きょう関東甲信越地方では大雪となっているようです。その原因は悪名高き「南岸低気圧」。「春のお彼岸の大雪」といえば「桜田門外の変」が想起されますが、これについては別の機会に書きたいと思います。本日は私家版「春彼岸に大雪!」の思い出をどうぞ。
それは1986年(昭和61)3/23(日)のことだった。その年は3/21(金)が春分の日だったので金土日と3連休。前年の10/1に米国留学から帰国して島根医大・助手に復職したばかりだった私と妻と娘2人(9歳、6歳)と義父母がクラウンに乗って信州白馬へスキーに行った。当時、長野自動車道は無かったので中央高速を伊北ICで降りて国道で白馬まで走ったが、往路には ― 信州といえども ― 道路の雪は無かった。
3/23の午前中に白馬を発って安曇野のわさび園に立ち寄りながら国道を南下していくと豊科あたりから渋滞が始まった。急に降り出した雪が路面に積もり松本市内からズーッと繋がっている模様。じわじわと進み、松本市内に達したのはもう夕方になっていた。しかし、日が暮れて以降、全く進まなくなった。深夜12時になっても進む気配はない。絶望的な状況。
しかし、翌月曜は朝から研究室会議の予定だった。絶対休む訳にはいかない。あきらめない私は、対向車が全く来ないことに気付いていた。そこで、道路脇に寄せてチェーンを着け、ガラ空きの対向車線を走り始めた。ときおり対向車が来たときは横道へ右折してやり過ごし、また元の車線に戻って…を繰り返した。
塩尻に入って情報を得た。この先、伊北ICへの国道は大型トラックが横向きになって塞いでいると。やむなく国道20号の塩尻峠を越えて岡谷ICから中央道に入ろうと決断。峠は普段でも急勾配の難所。この夜、通行車は上下線ともゼロ! そりゃそうだ、路面積雪は40 cmを超えているんだもの。
しかし、決死の覚悟で誰も居ない峠を越えた。後輪駆動だが、尻を振り振り超えた。クラウンならではのパワーで、6人乗車で車重もしっかりあったので、チェーンが確実に雪を捉えてくれた。前輪は新雪を乗り越えた、大径タイヤの御蔭だ。
岡谷ICを入ってからは順調に走れた。研究室会議に少し遅刻はしたものの、何とか出席できた。教授からは大きめのお目玉を頂戴したけれど……痛い痛い思い出。
三雲クリニック
12/7(土) 大雪(黄経255°)次は冬至です。日本人の免疫力落ちてます。打ったらあかん‼ コロ・ワクは毒チンやでぇ❕