ざつがく 雑学2018年03月09日
#73) 神戸事件(補遺情報版)

 既に1週間も過ぎてしまいましたが、2018年3月2日は備前藩士・瀧 善三郎が神戸を、いや、日本を救うべく堂々と、誇り高き切腹を遂げて(慶應四年二月九日)から丁度150年目に当たる日だったのです。あらためて黙祷を捧げます。こんにちの我国のあるのも同士のおかげです。合掌

 

 彼の辞世が残されています。「きのふみし 夢は今更引きかへて 神戸が宇良に 名をやあげなむ」

 

 切腹に立ち会った英国公使館書記官ミットフォードの詳細な報告が英国紙に掲載され大きな反響を呼んだ。そのことを新渡戸稲造が英語で著した『武士道』第12章で紹介し、あらためて世界に向けて大和武士(やまともののふ)の魂を知らしめた。それくらい瀧の沈着・堂々の姿は外国人に強烈なインパクトを与え、リスペクトの念を引き起こした。

 ところが、新政府は神戸事件のことを歴史から抹消し切ったので、救われたはずの日本人は誰も知らずに今日に至っている。正しい史実を再発掘し、救国の義士・瀧善三郎を再顕彰すべきであろう。

 彼は、藩士の隊列を横切る無礼(共割)を糺すべく行動したに過ぎない。出来たてホヤホヤの維新政府は正式に「攘夷」を撤廃した訳でもなく、正式に「開国」を宣言した訳でもなかった。すなわち共割禁止は国内慣習法として存続していた。ゆえに瀧に非は全く無い。

 NHKの歴史番組で、鹿児島大学名誉教授とやらが「新政府は万国公法に則って外交交渉を為した」とかホザいていたが、そんなものは全て後付けの屁理屈であることがバレている。 

 英国密航(留学)の経歴のある伊藤俊輔(のちの博文)が、かねて親交のあった英国公使パークスらと取引をし、ひねり出した妥結案が「瀧が責任を取って切腹するならば、列強による神戸占拠を解いてもよい」であった。

 

 伊藤はこの厄介な事案を ―瀧の生命を賭することによって― 「解決」した。その神戸を含む兵庫県の初代知事(国選)に伊藤が選ばれたのは、おそらく神戸事件の論功行賞であろう。しかし、伊藤は自らがテロルに遭うのを怖れて1年足らずで兵庫県知事を辞している。

 私は、伊藤を非難するものではない。彼は明治の国政を順当なレベルまで導いた偉人であると高く評価する。朝鮮人のテロルに遭ったのは誠に残念至極なことと思う。

 

 ただ、瀧の命日から150年経ったいまも史実そのものが抹消されたままであるのが悲しい。悲しすぎる。いわれなき罪に不平不満を言うでもなく、堂々と命を賭して我国を救ってくれた大恩人なのに…。 敗戦後永らく主体性を失ったままの、米国の属国のような日本では致し方ないかもしれないが…(神戸を占拠した列強には当然、米国も加わっていた)