1/17は阪神淡路大震災から23周年でした。わが娘の誕生日でもあるので、この日のことを忘れることはありません。震災当日は出雲に居ました。前年の8月1日付けで島根医大(出雲市)に単身赴任したからです。
1995年1月17日は火曜日でしたが、前日(月曜)が成人の日の振り替え休日だったので、休暇明けに当たっていました。私はといえば、山積したデスクワークを片付けるべく、16日昼からずっと職場に籠もって、徹夜で頑張っていました。研究棟の中には人の気配もない、物音ひとつしない、なんとなく違和感のある、冷え込んだ夜でした。
17日の午前4時半ころになって漸く一段落ついたので、厚着のまま寝袋に潜り込んで、職場のソファで眠りにつきました……深い眠りに陥ったところを、横から強く揺さぶられ、真っ暗闇の中で飛び起きました。誰も居ません。壁の掛け軸だけが大きく東西方向に揺れています。
これは大地震だ!と直感してラジオをつけました(TVは職場にはありません)。しかし、速報は無し。数分後に漸く「関西方面で地震」との情報が得られたので、即座に滋賀県・大津在住の娘らに電話したところ、「大きな被害は無い」との返事に一安心。大阪・南河内で母の介護に当たっているはずの妻に電話を試みましたが、このとき既に不通でした。しばらく(数日)は音信不通が続いたと記憶しています。
17日の午前中、ラジオを聴いていましたが、具体的な様子が全く分かりません。昼休みに宿舎へ帰ってTVを視て初めてリアルな状況が判りました。未曾有の恐怖を覚えました。
NHK神戸支局の室内のすさまじく揺れた動画、阪神高速道路が横倒しになった画像、神戸市内に火の手が上がっている画像、等々に震え上がったものです。ピアノが天井まで跳び上がったあと、床を突き抜ける勢いで落下した、というような話を聞くにつけ本当にぞっとしました。
それほどの大きな縦揺れ(直下型ならではの)があった訳ですが、300km近く離れた出雲までは その強烈な縦揺れは伝わらず、1ヘルツ程度の低周期の横揺れだけが伝わった、ということだと思います。東西方向の横揺れが私を揺すって起こさせたのです。
当時は、前任の大阪医大へ非常勤講師として何度も行く予定になっていましたから、出雲と大阪の移動に大変な経験をしました。そんな話も次回に書き残しておきたいと思います。(つづく)
三雲クリニック
12/7(土) 大雪(黄経255°)次は冬至です。日本人の免疫力落ちてます。打ったらあかん‼ コロ・ワクは毒チンやでぇ❕