今日は平成30年1月11日(2018.01.11)。1月11日といえば、私はつい慶応四年一月十一日に起こった神戸事件のことを思い起こしてしまいます。あくまでも旧暦の一月十一日であり、新暦になおすと1868.02.04のことになります。つまり、今年の立春の日に神戸事件勃発から丁度150周年を迎えるというわけです。
今年は「明治維新150周年」として大々的に「維新の美化・礼賛」が行われようとしています。その一方、神戸事件については国も政府も兵庫県も知らんぷりです。
「神戸事件」というキイワードでweb検索すれば、あの狂気の児童殺人事件のことがヒットするくらいであり、人々はホンモノの神戸事件のことなど何も知らない。なぜか? それは、知らされて来なかったから! 学校教育からも公的歴史からも葬り去られてきたからです。
神戸事件とは ―生麦事件と同様に― 外国人兵士が備前藩の隊列(西宮を警備せよとの公的命令が下っていた)を横切るという無礼をはたらいたため、これをとがめた備前藩士とのあいだで戦闘が起こった。欧米列強は責任を問うて神戸を占領した。維新政府(実態は極めて無力)は、備前藩士・瀧 善三郎を責任者として切腹を命じた。瀧は列強公使らの立ち会いのもと堂々と切腹を果たし、これを見届けた列強は占領を解いた。
つまり、瀧 善三郎は謂われ無き罪を一身に背負い、堂々と切腹を果たすことによって、「生まれたての頼りない日本国」を救ったのです。
神戸事件が起きたのは、「鳥羽伏見の戦」が始まった慶応四年一月三日から わずか一週間後のことですから、維新政府なんぞ極めて微力で、欧米列強の神戸占領を外交処理するだけの力量も無く、一方的に日本側が悪いとして事件の責任者をでっちあげ 瀧に詰め腹を切らせた、というのが真相です。
しかも、事件後は徹底的な箝口令を敷くことによって、神戸事件を公的歴史から完全に消し去ったのです。確かに、その当時の維新政府には外交能力も無く、列強を追い払う戦力(余力:戊辰戦争の最中ですから)も無く、事件を抹消するより仕方が無かったのでしょう。
しかし、国力を上げた日本の その後を引き継いできた歴代政府(とりわけ長州閥)も、救国義士・瀧 善三郎を再評価・再顕彰する姿勢を片鱗さえも示して来なかったのです。維新150年を賞賛せんとする現在の政府にも再検証・再顕彰の姿勢は無さそうです。 残念至極!!!
参考図書:礫川全次(こいしかわ ぜんじ)『攘夷と憂国』批評社 2010.08.10
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12/7(土) 大雪(黄経255°)次は冬至です。日本人の免疫力落ちてます。打ったらあかん‼ コロ・ワクは毒チンやでぇ❕