趣味2018年01月07日
#63) 俳句の韻律 その2

 1/5は「小寒」、「寒の入り」でした。まさに石鼎句「寒卵(かんたまご)」どおりの季節になりました。

 前回の続きを書きます。「俳句は音」だなんて、ぐだぐだと屁理屈をこねるなよ!と怒り出す人もあるでしょう。でもね、世の中には私と同様の主張を、私よりも強力かつ整然と述べる人も居るのですよ。

 

 芭蕉の秀句があります。

    病雁の夜寒に落ちて旅寝かな

これを岩波『日本古典文学大系』や三省堂『芭蕉講座』に於いて専門家たちは、わざわざ「びょうがんの」と仮名を振っているのだそうです。しかも、芭蕉門弟の基角が「やむかり(病む雁)」と振り仮名を付けているにも拘わらず、「びょうがん」とこじつけている、というのです。(yan氏のブログ『古代文化研究所』2009/12/9 「芭蕉秋暮」より)。

 

 これら専門家の振り仮名こそは、せっかくの芭蕉の名句を台無しにする愚挙だ、とyan氏は言います。yan氏による適正な読み方とはこうです。

   やむかりの よさむにおちて たびねかな

このように読むことで「連続する大和言葉の音調の方が遙かに勝っている」と述べています。私も全く同感です。

 更に、私の解釈を加えさせてもらうならば、「やむ」と「よさむ」のY音の重なりが一層の心地よさ・韻律を生み出しているのだと思います。

 

 yan氏によれば、この句は芭蕉が近江・堅田で詠んだ最晩年の作であって、辞世句とされる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の前哨になる重要な句である、とのこと。だからこそ、一音たりともおろそかに読んではならぬ!と。近江八景「堅田の落雁」を踏まえた一句であることは言うまでもありません。

 

 ここまで書いてきて、私はハタと気がついた。「寒雁のほろりと…」は昭和26年の晩秋~初冬の作とされている。そして、石鼎が没したのは同年12月20日なのです。つまり、石鼎は自分の死期を悟ってこの句を詠んだのではなかろうか? かくて、石鼎の最晩年作「かんかりの」を芭蕉の最晩年作「やむかりの」と重ね合わせることができるような気がする。考え過ぎだろうか?