趣味2017年12月31日
#62) 俳句の韻律

 今日は大晦日。ことし一年、多くの皆様のお世話になりました。ありがとうございます。

 ここ2,3日わりあいマシになっていましたが、今朝はまた冷え込みが戻りました。今朝の信楽の最低気温は -2.9℃@03:20 でした。西を見れば比良も比叡も真っ白、東を向けば御在所も真っ白になっています。

 かくも冷え込んではいますが、「寒の入り」とは「小寒」のことを指すらしいので、年明けの5日から寒に入り大寒の候までを「寒中」と呼ぶようです。大寒は二十四節気の一つで、旧暦十二月の中気ですから、私はまさに寒の極期に生まれたというわけです。

 

 冷え込む季節になると思い起こす、私の愛唱句があります。

       寒雁のほろりと鳴くや藁砧

島根医大の近くに生家のある俳人・原 石鼎(はら せきてい)の昭和26年(最晩年)の作です。寒雁は季語で、「かんがん」と読ませるのだそうです。

 しかし、この句を「かんがんの…」と読むのは、石鼎の意図を全く分かっていない蛮行だと思います。私は次のように読みます。

     かんかりの ほろりとなくや わらきぬた

このように読むことで、「かんかり」「ほろり」と心地よい韻律が生まれるのです。「ほろり」という、寒ぞらのもとの暖かみある声と、ずんずんという藁砧の重低音が響き合う、音の情景を詠んだ句であると思うのです。

 ふつうの俳人は、季語だから「かんがん」、と読んで何の疑いも持たないようです。しかし、私は俳人ではないので、固定観念にとらわれることなく、純粋に やまとことば の音の美しさ、音の繰り返しによる韻律の心地よさを重んじるものです。

 「かんかり」というのは「重箱読み」だ、との批判もあるでしょう。しかし、もうひとつの石鼎句にありますように、重箱読みは禁忌ではないはずです。

   寒卵ひとつ割ったりひびきけり

この句も音の情景を詠んだ句と申せましょう。石鼎の面目躍如だと詠嘆します。

 

 俳句や短歌などの短詩なればこそ、ますます音の響き、音の韻律を重視すべきではないでしょうか。何度も繰り返し唱えてみる、声に出すことで味わえる韻律というもの、を句の観賞の肝にすべきだと思うのです。

 以上は、私が島根医大に在職中、島根日日新聞のコラム『出雲あげなこげな』(平成25年12月17日付け)にて述べたことの再論です。(つづく)