ざつがく 雑学2017年12月24日
#61) 冬至は太陽復活の初日 NOEL

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 ところで、今夜は Xmassイブとかで、私の聴いている Blueglass Jamboree でも そちらの歌ばかり流しています。私は耶蘇教信者ではないので特に祝う気持ちはありませんが、12月に入ってから診察室のドアには緑と赤のリースを掛けています。それは冬至を祭祀して新年”NOEL”を祝う気持ちからです。

 

 西欧の古代の暦では、冬至は一年のうちで太陽の勢いが一番衰える日であり、その日を境に陽光を取り戻していく「太陽復活再生の日」と位置づけていたようです。とくに北欧など北緯の高い地で暮らすと、冬は太陽が殆ど昇らない日々があるので、冬至は重要な暦日でしょう。日本では最北端まで行っても「極夜」は経験しませんから、冬至を新年とする風習は根付かなかったのだと思います。

 

 しかし、桓武天皇が冬至の祭祀を行ったという記録があるそうです(薬師寺慎一『聖なる山とイワクラ・泉』吉備人出版)。わが故郷の交野山に昇る冬至の太陽を、枚方(ひらかた)の中宮(なかみや)にある丘陵、百済寺の地から桓武帝が祭ったであろう、というのです。

 枚方の中宮近くには禁野(きんや)という地名がありますが、禁野の古代の読み方は「かたの」でした。禁野や交野は いづれも「かたの」、つまり皇族専用の土地であり、我々しもじも は立ち入り禁止の禁制区域だったのです。交野山を地元民は「こうのざん」と呼んでいますが、歴史的な意味から言えば 神の山(こうのやま)です。