日々のあれこれ2017年08月14日
#43) 近江の国の盆踊り 江州音頭

8月13日(日)、今夜は三雲区の盆踊りに行ってきました。ここ三雲地方は昨夜から急に涼しい風が吹き始め、今朝5:31には信楽アメダスの最低気温はなんと17.5℃。信楽の麓にあたる三雲でも今朝は肌寒いくらいでした。日中はカンカン照りでしたが、夕方から再び涼風が吹く絶好の盆踊り天気になりました。

 

行ったと言っても踊りの輪に加わることなく、江州音頭を聴かせてもらいに行ったのです。東近江から男性2人、女性1人が招かれて櫓に上がられました。一人は音頭取り、女性は合いの手、もう一人は囃子方(太鼓)と思っていましたが、実際は3役を順繰りに分担して何巡もする、という様式でした。たいしたものです。うちのクリニックも「3ちゃん体制」ですが、回り持ちなんて無理ですからね。

 

私は河内音頭を聞いて育ったので、江州音頭にも強い親近感をおぼえます。とりわけ、「掛け声」というか「合いの手」が自然に身体から湧き上がってくるのです。「あ、こりゃどっこいせ」「こら、しっかりせ~」「あら、どしたぃ」「よいとよぉ~いやまっか~ どっこいさぁのせ~」などが自然と口をついて出てきます。

 

河内では踊り手も「そぉらぁ~よ~いとこさぁ~さぁの~よ~いやぁさぁっさ」と大声を掛けて踊ったものですが、江州音頭の踊り手さん達はおとなしく優美に優雅に舞うようです。こちらのほうが古い「念仏踊り」の様式を伝えているのかもしれません。

 

元来、お盆というのは陰暦七月十五日の行事だそうで、いまのお盆は「月遅れのお盆」ということになります。沖縄では今も陰暦でお盆を行うのだとか。

 明治23年(1890)8月28日、ラフカヂオ・ハーン(のちの小泉八雲)は松江へ赴任の途上、鳥取・下市(しもいち)の妙元寺で生涯忘れ得ぬ盆踊りに出会い、作品「盆踊り」を残しました。同年4月に横浜へ来日したばかりでしたが、松江中学の外人教師として雇われたのです。横浜~姫路は汽車で、以降は人力車で中国山地の犬挟峠(いぬばさとうげ)を越えて日本海側に投宿したようです。ネット『旧暦計算』によると、この8月28日は陰暦七月十三日でした。ちょうどお盆の「迎え火」をする日だったと思われます。