日々のあれこれ2019年08月28日
#107) 晩夏の候

 【左】舟形. 京都観光Naviより。【右】シャーラ舟. 隠岐・西ノ島町webサイトより。

 

 明治23年8月28日、つまり129年前の今夜、ラフカディオ・ハーン(へるん先生、のちの小泉八雲)は松江に赴任するための旅の道中で鳥取県西伯郡下市に投宿し、同地の妙元寺の庭で行われた盆踊りを見た。同夜は旧暦の七月十三日で、ちょうどお盆の迎え火を焚く日だった。ハーンは、想像を絶した夢幻的な踊りと、五十人ほどの踊り手が唱和する韻律にすっかり魅入られたことを作品 "Bon-Odori" に遺している。「いさい踊り」という踊りだったようだ。ちなみに今年の今夜は陰暦七月二十八日で、明後日は八朔に当たる。

 

 明治23年4月に米国から出版社の特派記者として横浜に来たが、来日まもなく契約を破棄したハーンは日本で職探しをした。その結果、島根県尋常中学校と島根県尋常師範学校の英語教師の職に内定した。横浜から姫路までは汽車があった。姫路から松江へは出雲街道を人力車で旅したようだ。しかし、岡山県の真庭あたりからは出雲街道を真北にそれて犬挟峠(いぬばさり・だわ)を超えて関金、倉吉を経て下市に着いたようだ。

 

 私は出雲で20年暮らしたが、あいにくと出雲や伯耆の盆踊りを見ることはなかった。よって、「いさい踊り」がどんなものかは知らない。おそらく念仏踊りに起源をもつ幽玄な、精霊たちを慰めるための踊りだったのだろうと推測する。

 

 

 令和元年の晩夏、台風も到来し、北部九州では豪雨災禍も起こり、大変な季節ではある。今夏はお盆に関連する行事をそれなりに過ごせた。8月15日には近畿地方に台風の影響が大きく、豪雨だったため開催が危ぶまれたが、16日夜は雨も無く京都五山の送り火が予定通り行われた。私は現地へ行ったわけではないが、どうしてもこの送り火が見たくて、瀬田の自宅でweb実況中継を視た。

 

 その中で舟形の点灯から消灯までを見届けることができた。5年前の1年間、私は京都市右京区にある老健施設に通勤した。京都駅から嵯峨野線(正式名称は山陰本線)の花園駅まで通ったので、車窓から舟形山を目にすることは日常だった。しかし、舟形に火が灯るのを見たことは無かった。つまり、平成26年8月16日の午後8時半頃に乗車した記憶はない。

 

 ネット上ではあるが舟形に灯る火を見て、隠岐の西ノ島に伝わる「シャーラ船」を連想した。「シャーラ船」は「精霊舟」の訛った言葉だろう。8月16日に精霊たちを西方浄土に向けて送り出す舟の行事である。これも実際に見たことはないが、今では YouTube で鑑賞することができる。京都の舟形もまさしく精霊船で、その最後の1灯が消えたときに何とも言えない寂寥感を味わうことができた。当ブログ #91「五山の送り火 寂しくて」に書いたとおりである。

 

 

  8月17日の夜は近江國一之宮・建部大社(たけべたいしゃ)の船幸祭に出かけた。瀬田川に上がる花火を鑑賞するのが主な目的ではあったが、これはれっきとした神事であり、御祭神たるヤマトタケルノミコトを慰める聖火・献灯なのだろうと思う。この日も天気に恵まれた。夜になっても蒸し暑かったけれど、瀬田川を渡り来る、僅かではあるが涼風が心地よい。

 

 19:50に予定通り花火が始まった。これは御祭神を載せた大神輿が瀬田川下流の御旅所(南郷洗堰の少し上流にある)まで船渡御され、その後ふたたび瀬田唐橋の浜まで還幸されたのをことほぐ花火だ。大船団が現れ、目の前を通って国道大橋の辺りまでぐるりと大回りしてから瀬田浜に上陸する。その間、20:10頃まで盛大な花火が上がる。大神輿の上陸を以て花火は一旦終る。三分の一ないし半数ほどの観客がこれでぞろぞろと引き上げた。

 

 しかし、ご神事なので、これから20:50頃まで大社氏子の会々長や大津市長、姉妹都市である米国ミシガン州ランシング市長などの挨拶が続いた。その後、大神輿が唐橋を行ったり来たりするのに合わせて再び盛大な花火が展開された。予定では21:00までのところ、実際に花火が完了したのは21:15になっていた。

 

 大神輿はその後も練り歩き、実際に大社に還御されたのは22:00を過ぎていた。これに拝礼してから三雲へ帰ってきた。東天には、いささか秋色を帯びた十七夜月が輝いていた、原付で走ると夜風が心地よい季節になったものだ。

 

 

 ところで、船幸祭には江州音頭が付き物である。大神輿を載せた船上でも音頭取りが歌っているし、陸の上でも桜川〇〇一門とかいう音頭取りが歌っていた。江州音頭も元をただせば念仏踊りであろうから、ご神事と一緒に、というのは少し違和感がある。しかし、神仏混交時代の名残なのだろうか、ともかく、近江の夏には江州音頭が欠かせない。

 

 私自身は河内音頭を子守唄のようにして育った。また大阪でも江州音頭は馴染みの盆踊り唄である。音頭を聞くと自然に体が揺れ出す。河内音頭でも江州音頭でも元来は念仏踊りで、いまも正調としてゆったりした幽玄な音頭も残っているようである。私が子供の頃の河内音頭は「鉄砲節」というテンポの速い踊りが隆盛ではあったが、ほんとは少しゆったり目の曲が好きだ。

 

 江州音頭を YouTube なら一年中いつでも聴ける。バックグラウンド・ミュージックとしてずっと聞いておれる私のお気に入りは志賀國天寿・師匠やその一門の早浪美加さんの音頭だ。素晴らしい太鼓を聞かせ、かつ、見せてくれる志賀國小寿さんも大好きなプレイヤーだ。関心のある方はどうぞ YouTube で検索・視聴してみてください。