未カテゴリー2019年01月17日
阪神淡路大震災当時のの思い出を話します。

今日は「阪神淡路大震災」のあった日。ツボの話ではなく震災の時のお話をしましょう。

 

当時私は鍼灸学校の3年生でした。2月に国家試験を控え さあ勉強しなくっちゃ と勉強を始めた1月16日。そう震災の前の日でした。久々に遅くまで起きていた私は 地震のグラグラと棚から落ちてきた本が顔に当たり目を覚ましました。そのあとは皆さん一緒で地震の後始末に翻弄させられるわけです。

震災後多分3~4日後に神戸に行きました。まだブルーシートがあちこちにあり 家屋がゴジラに潰された? と思うような感じでした。なぜ神戸へ? 鍼灸学校の授業はすぐに開始されました。クラスメイトの一人が「神戸にボランティアに行ける。行こう!」みたいな話になってクラスの7~8名が名乗りを上げたのでした。1ヶ月後には 国家試験があるのに あんまりそんなことは考えていませんでした。

学生でありながら「鍼灸ボランティア」。ただただ「ボランティア」というだけで何をするのかも皆目考えてなかったけど 何か「行ってみよう」というのだけがありました。当日 朝6時くらい集合。クラスメイトが車で来てくれていたので便乗。ただ交通網が・・。主要道路は限られており渋滞する~。と思いきや私たち「ボランティア」隊の前にはパトカーが先導。まるでモーゼの十戒のように海が割れるように 前の車が道を開けていく、凄い。

兵庫県庁に着くと映像で見た通り 中間の階がクシュっと潰れていました。県庁で各方面に分けられてボランティアに向かったのでした。私のグループは 多分このボランティアを企画した代表がいるグループ。なぜなら私たちグループに NHKの取材班が動向してたのでした。勿論カメラも来ているので一目でわかります。避難所に行くと冷たいお弁当が山積みにされていて 私でも食べたくないな と思いました。被災された方は一様に寒そう。避難所も火の気が一切ないんです。多分と思って持って行った「カイロ」4~50個すぐ無くなりました。見た目から寒さと疲れとで被災された方は元気がありませんでした。 我々は「鍼灸ボランティア」で行っているわけですから鍼灸をしなければなりません。私は学生でしたが 働いており職場でも鍼はしていたので初めての方にも躊躇なく打てましたが クラスメイト達は少し尻込みしましたので私は積極的に鍼をしていました。するとNHKのカメラは私を撮影するではありませんか。結局ドアップで撮られていたようです。震災の時ですからテレビ番組は震災の話題で持ちきりです。ましてNHKなので映像は何回も放送され、当時2歳だった娘はテレビを見て「おとう」などと言ったそうですから よっぽどのアップだったのでしょう。はり治療に関しては寒すぎるので 肘から手にかけて 膝から足にかけて とあまり服を脱がず治療したことを覚えています。被災された方は「来てくれてありがとう 治療してくれてありがとう。」と何度もおっしゃっていました。

たまたま郷里山口から仕事に来ていた高校のクラスメイトは テレビを付けていたら 私がいたのでびっくりしたそうです。夕方まで鍼灸ボランティアをして 現地解散。パトカーの先導があるわけもなく超渋滞に巻き込まれ終電で帰路についたのでした。あと勝手に学校を休んでボランティアに行ったのですが、出席扱いにしていただけました。

それから治療院でも「ボランティアに行こう!」ということになって週末は被災地、避難所へ。あの~国家試験があるんですけど・・・。結局2/11の建国記念日までボランティアに行きました。

国家試験の結果は 無事受かりました。良かった!この日のボランティア その後のボランティアもいい経験になりました。この時期になるといつも思い出します。